忘れてないつもりなんだけど、それだけじゃ、しょうがないよね・・・
今日はこのニュースが大きく扱われていたと思う。
川内原発は「基準に適合」と規制委、審査最終合格に前進 | Reuters
早くて秋に再稼働、という見出しもちらほら見られたけれど、TBSラジオの記者取材によると、そう簡単なものじゃないらしい。これからも別の審査が待っているようなので。
九州電力川内原発再開でもLNG市況への影響は限定的:アナリスト - Bloomberg
そして、地震もそうだけどこのへんはたしかに火山地帯なんだよなぁ。
時事ドットコム:【図解・社会】川内原発周辺の火山とカルデラ(2014年7月)
感情的だと言われるかもしれんが、やはり原発再稼働は反対だ。
原発0をめざす国になりたい。
もう一度事故が起きない限り、そうならないのか?そんなのやだなぁ・・・。
FunTohokuさんといわき農商工連携の会「ine(いーね)」さんによる、福島県いわき市への日帰りバスツアーに昨日参加してきました。
いわき農商工連携の会 http://ine.main.jp/
私は、「ボランティア」「地域貢献」などを前面に掲げたイベントごとに、二の足を踏んでしまう傾向があります。
しかし今回は、友人(koharuのViviさん)がFacebook上で参加しているのを見て、なぜか「これ、行ってみたい!」とスイッチが入り、参加を決めました。NGOで働いている友人ひとりを誘って。
※デジカメを持っていったのに、シャッター押したら「NO CARD」の表示・・・
久々にやってしまいました。SDカード差し忘れ。 というわけで今回はスマホの写真です。あぁ、残念無念。
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1日遅れ。
堀潤のメルマガで「ルポ 原子力産業インサイド 」というが始まったので読んでみる。
まだ、序盤で核心に迫るのは次回以降かな。
新シリーズ開始! 『ルポ・原発産業インサイド 〜それでも再稼働を目指すワケ〜』:堀潤のテレビでは言えない話:堀潤「発信は誰にも止められない」(堀潤) - ニコニコチャンネル:社会・言論
何十年もやってきた原子力開発、ぶら下がっている人もモノも膨大で、すぐに辞めるなんて現実的じゃない、
という理屈は分かる。
でもやっぱり、あの福島第一原発の爆発の映像を見て、その後いつ終わるともわからない収束作業の状況を聞いていると、即時停止を願う。感情的だと言われようとも。
東日本大震災があって、原発事故があって、これからは原発0に向かうんだ!と思ったら、
なんやかんやでいつのまにか、再稼働を目指すことになってたりするし、
震災が起きた頃には思いもしなかった、集団的自衛権をOKにしちゃおーなんてことにまでなってしまって、
なんか、自分の希望する方向と逆へ逆へ行ってる気がするわ。
と、軽く書いたけど、私はやっぱり改憲そのものにも反対なんだけど、
もしアベさんがどーしても集団的自衛権使えるようにしたいんだったら、憲法改正をかけるべきだと思う。
ソレを避けてる時点で、コクミンに理解を求めるなんてクチで言っても信用でけへんよー。
「閣議決定では集団的自衛権の行使できない」元内閣法制局長官が断言-憲法や法律が優先、依然変わりなく(志葉玲) - 個人 - Yahoo!ニュース
なんかうっとおしくなってしまうけど、長いスパンでみたら何でも、行きつ戻りつしながら進んでいくものだと思う。
焦らず、イチ庶民として、言うだけ言っとく。
「集団的自衛権の行使容認のための憲法解釈の変更」には反対です。
しかし、けっこう若い男の人でも「抑止力のために賛成」っていう人いるみたいだけれど、
自分が戦場にいくことになるのかも、とか思わないのかなぁ。息子がいる人も。
だとしたら、ちょっとおめでたすぎると思うなぁ。
今や豊かになって暮らしやすくてありがたい日本だけど、資源の少ない小さな国土の国には変わりない。
いったん戦争になったりしたら、あっちゅーまに枯渇する気がしてならない。
サッカーの報道ひとつとっても、「(日本代表が予選敗退するまでは)日本が勝つのは厳しい気がする、って言えない空気だった」っていい気な横並び体質なのに、戦争でも同じことが起きる気がするよ。実際、太平洋戦争ではそういうことが起きたんだし。
あぁ、まとまらない。原発と関係なくなっちゃった。
ここんとこ、原発の話よりも、集団的自衛権の話のほうがニュースでよく取り沙汰されていて、気が重い。
っていうか、腹が立つ。
勝手にすすめといて「国民の理解を求める姿勢である」っていみわからん。
こっちは意思表示できないんだもん。
憲法改正は反対だけど、アベさんにそこまで信念があるってーなら、憲法改正のために国民投票にかけてくれなきゃあかんよ。
とにもかくにも、私ももう40になって、自分のこれからのこともそうだけど、やっぱり若い子、子どものことを考えて行動しなきゃならなって気がヒシヒシとする。
自分の子どもはいないけど、その分、何ができるかな。日々自問中です。
(多少、寄付とかはしているけど。)
変わりゆく福島と、変わらないフクシマと。(上) 林 智裕 | ふくしまの声
変わりゆく福島と、変わらないフクシマと。(下) 林 智裕 | ふくしまの声
「原発には興味があっても、福島には興味が無い方があまりにも多すぎる」ということばは、私にとってもすごく痛い言葉だ。
なんだろうな、難しいな。
今までまったく縁がなかったと思っていた場所。電気を作ってくれていた場所と分かっても、それもなかなか実感は持ちにくかった。
でもなんだか、「おそれ」があって、ずっと福島県の地は訪れないままで3年。
今年の2月に初めて福島県に観光で訪れた(主に会津若松だが)。
来月、2回めの福島県訪問の予定をたてました。
今回は、いわき市です。
こうやって、機会をちょっとずつ作っていこう。
福島 フクシマ FUKUSHIMA 「できれば、東京に持って行ってもらいたい」 ―中間貯蔵施設・住民説明会
こういうの、テレビなんかのニュースでは大きく取り上げられてないよなぁ。(私が知らないだけかもしれないけど)
東京に中間貯蔵施設が来たら、やだなぁと正直思う。
けど、もしそうなったときに、子どもがいない私、生まれ育った場所が別にある私は、真剣に反対はせずに「しょうがない」と受け入れる気もする。
結局、国だの県だの持ちだされても、人ってピンとこないもんだと思う。
自分が実感として感じられる100数人程度と、ある程度の広さの地域のことしか真剣に考えられない。(飛び回ってあちこちに愛着ある人と場所を持ってる人って、すごく限られた人なんだと思う)
きっといつまでも平行線。
誰かが決めなきゃいけない。そういうとき泥をかぶるためにあるのが「国」であって、「美しい国になろう」なんて呼びかけは国のしごとじゃないと思う。そんなん個々人がちゃんと思ってたらええんやから。
私は、根本的に、楽天的でゴーマンなところがあるなと気がついている。
気をつけなきゃと思いながらも、土壇場の判断は、自分に都合がいいことだけを選んできたと思う。
この文章を読んでいてちょっと感じたのだけど・・・
旅の途中〜水俣と福島で繋がって、共に歩む〜(上) 鎌田 千瑛美 | ふくしまの声
旅の途中〜水俣と福島で繋がって、共に歩む〜(下) 鎌田 千瑛美 | ふくしまの声
「マイノリティがより生きづらい構造になった」
これ、頭ではよくないことだって、よく理解しているのだけど、でも、私自身が多数派に属しているとき、少数派にも光を当てる具体的な行動に出るかというと、できてない気がする。
具体的な行動、とは何かを考えるようにしなきゃいけないんだな、常に。
ラジオをきいていたら、この第一報を聴きました。
大飯原発 運転再開認めない判決 NHKニュース http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140521/k10014612701000.html
父方の田舎が、敦賀から近い山奥の集落で、そこにお墓もありますので、福井県の原発銀座は他人事ではないのです。(とはいえ、何の行動も起こしてないんだから、ほんとのところはまだまだ他人事の意識なんだとも思う…)
地道だけど、こういう判例がちょっとずつ、増えていって欲しいと思います。
美味しんぼの鼻血騒動のこと。
今回のお話をまったく読んでないので、何も言う資格はないんだけど、ひとつ思うのは、
お国がとやかく言うことじゃないと思う。
「たかがマンガでしょ」という毅然とした態度で、ほっといてほしい。
ずっとマンガ好きだから、そう思う。
マンガの内容にまでとやかく言われるようになる国は、いやだ。
しかし、美味しんぼって昔から、ちょっと極端な意見を使ってセンセーショナルで単純すぎるストーリーを展開させてるので、ある意味変わってないのかな・・・と思った。
チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイドの続編的な本が、昨年末に出てたらしい。
全然知らなかった。(^_^;)
早速購入してみました。
届くのたのしみ。
今日は、鼻を噛みまくりクシャミしまくりの風邪と戦いつつ仕事してました。
先日、話題の「いちえふ」買いました。
まだざっくりとしか読めてないので、これから読み直し。
あくまで、ある一人の人から見たひとつの事実として、追っていきたいと思います。
ちゃんと追わなきゃな・・・と思いながら、ついつい気持ち的に億劫で、遠ざけがちな、小出さんの話。
久しぶりにきいてみた。
【アメリカが日本にウランとプルトニウムを返せと言ったわけは?】第66回「小出裕章ジャーナル」 | 小出裕章 (京大助教) 非公式まとめ
まぁ、こんな時々思い出したようにかいつまんで聴いてるだけじゃ、全体像を把握できないんだろうけれど・・・。
なんていうか、いろんなことは、片方の意向だけでは決まらないな、とつくづく思うし忘れちゃいけないなぁと思った。
日本の問題は、日本だけの意志ではどうしようもできない・・・。
この記事を読んで、私のことを肯定的に捉えてくれた気がして、ホッとする。
生きる愛しさ ダイアローグ研究会の夜 : 田口ランディ「いま、伝えたいこと」
田口さんは坂本龍一さんのことを取り上げているが、私が同じようなことを最近感じたのは、声優の永井一郎さんが亡くなった時だったりする。(原発とは全然つながらないが・・・)
人のために役立とうとする行動よりも、とにかく、その人自身が一心にやり続けた仕事に関して、他人は感動をするんだなぁ、ということを、波平さんの声を失って気がついたのです。
永井さんは、波平さんだけじゃなくて、私が物心ついてこのかた見てきたアニメの、たいていのキャラクターを演じられていて、ある意味、あの人の声を聴いて育ったとも言える。
いずれ自分より先に亡くなることは百も承知だったのに、それでも、訃報を聴いた時に寂しくて悲しくてたまらなくて、そこまでショックを受けた自分にも驚いた。
他人や、今の自分の生活に間接的な現象に関して、関心をもつことや協力的な行動を起こすことは、素敵なことだと思う。
ただ、やっぱり、自分のしごとを(それは金銭を稼ぐという意味に限定するのではなく、もっと広義な意味での「しごと」を、やめずに続けることが、私はもっと素敵なことのように思う。
中断はいいけども、もしくは別のことを見つけて始めるのもいいと思うけど、「自分のしごと」をやめてしまっては、いけない気がする。
マジメすぎるかな~(笑)
そんなこといちいち意識せず、公言もせず、結果としてそうなってればいいんだけど。
昨日のチリの大地震をうけて、今朝は早朝からずっと、津波警報続き。心落ち着かない日でした。
函館市が大間原発の建設差し止め訴訟を起こした。
がんばってほしいなぁと思う。
相変わらずこんな地震や津波が多いこんな国で、これ以上新しく作ってほしくないよ。
そして更新されていたこちらのブログを読む。
何かの現象・動きには、必ず2面性がある。ウラとオモテがある。光と影がある。
いちいち探るのは疲れるけど、皮肉屋だなぁと思うけれど、でもやめちゃいけないな。
仕事が途切れないというのは、個人事業主としては喜ばしいことだ。
それを理由に、ブログも、このカテゴリだけばっかり最低限更新してるだけになってしまって、いかん。
新年度、4月からは毎日更新だ!(アッ言ってしまった)
さて、こんなニュース等をよんで、ふーぅと溜息・・・。
福島原発事故:被ばく線量を公表せず 想定外の高い数値で - 毎日新聞
そして、こんな話も進んでいる。
東京新聞:武器新原則、自公が了承 平和主義を転換 来月閣議決定:政治(TOKYO Web)
いろんな情報が飛び交い、それに心が引きずられてしまっては元も子もない。
目前にある自分のしごとを、まずは粛々とやること。庶民にできるのはこれしかない。
と、言い聞かせてやっているけれど、そんな姿勢が、原発があふれ果ては事故を起こしても収束できないような現在を作りだしてしまったのだろうか、という疑念も消えない。
40にして惑わず、っていうのは現代じゃあてはまらないなあ。
若いうちは今思えば何も迷ってなかった。単純やった。今のほうがいろいろと出口が見えないことを抱えながらあえて見ないふりをしてることが多い。
ウクライナ周りの話は、かなり気が重い話である。
ウクライナはなんたってチェルノブイリもある国だし。
なんとか、政治レベルの揉め事に押しとどめて、内戦などにならないでほしい・・・。
(とか言ってるうちに、死者が出てしまったようだが)
人殺しが始まると、なんだか歯止めが効かなくなる気がするので。(私の乏しい想像だけど)
台湾も実はいろいろと大変なことになっているようだ。
台湾が大ピンチ!?中国関係の法案が可決され国会が学生に占領される! - NAVER まとめ
コレはちょっと前の話。
福島 フクシマ FUKUSHIMA 無策が続く汚染水対策 ― 東電任せで再稼働へ前のめり 【3月4日 政府交渉】
でも、こんなニュース見ながらも、ラジオを聴いて笑いながら日々仕事をしている自分。
花を飾ります。
3月11日は震災のあった日ではありますが、私にとっては、震災の前の年に突然亡くなった母の誕生日でもあります。
大学入学を機に家を出てからも、毎年何かを贈り、電話をしていました。
たまに忘れたこともありました。ふだん私に対しては執着心をあらわにすることはあまりなかった母でしたが、その時は明らかに恨み節としか思えない話を電話で軽くぶつけられたおぼえがあります。
最後の数年間のどこかで、「花ならチューリップがええナァ」と言われたことがなんだか印象に残っているので、手に入る時はチューリップを買うことにしています。
いいお天気に美しい花。
ささやかだけど、生きる活力になります。
#過去のブログを見返してみたら、2年前には「この日は毎年、花の絵を描くぞ」って決意表明してるのに、翌年にはそれを綺麗さっぱり無視して「この日は花を飾りましょう」と写真だけ載せてる私って・・・。
やっぱり根本的にはお調子者なのよね(笑)
1年経つと、どうでもいいことも大切なこともみんな少しずつ忘れていくんよ!
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