私は既に、大学で東京に来ていたから、直接被災したわけでない。
実家は築20年前後のマンションだったが崩れず、家族も生きていた。
頻繁に付き合いのある友人・知人もほとんど無事だった。
でも、これによって、私が生まれてから18年間住んでいたところの風景は、急激に変わってしまった。
だからやはり、私にとっては一生残り続ける日になると思う。
もし現場にいて被災していたなら、もっと現実的で、こんなふうにセンチメンタルな気持ちにはならないのかもしれない。
これはきっと、独りよがりの感慨なのでしょう。
とかいいながら、地震への備えはというと、ほとんどやっとりません…。
これも私の現実。
とほほ。
なつみかんさん、こんばんは。
11年前の今ごろ、私は先輩が運転する自家用車に乗って東灘警察署に向かってました。そこで警察が把握した亡くなった方の情報を調べるっていう仕事で。電気が消え、何かが燃えるにおいがたちこめ、サイレンの音が鳴り響く夜でした。
社会人のスタートを神戸で切った私にとっても、忘れられない日です。
そして地震への備え、同じくほとんどできてません。ポリタンクを担いで上がれる上限の階、ってことで8階に住んでいますが…。冷静に考えたら会社で被災して生き残ったら大阪から神戸くらいの距離歩かないと帰れないんですよね。
投稿情報: ruko | 2006/01/18 00:11
rukoさん こんばんわ。
そうか、じゃあ私が新聞で見ていたのは、rukoさんの仕事の成果だったのかもしれないのですね。はー・・・
私も11F在住で、なんとかぎりぎりがんばれるかしら・・・ですが、そもそもポリタンクないやんか。(>_)
どこで被災するか分からないことを考えると、ほんとに、運次第のところもありますよね。
投稿情報: なつみかん | 2006/01/18 00:16
朝、近くのお寺でお焼香の場を設けてあったのでお祈りしてきました。今日は一日、心の中でお祈りしていました。県西も校舎が使えなくて、運動場の中の仮設校舎で勉強したんですよ。麦ちゃんが「ここの公衆電話が並んでた」「水を貰いに来た」とか教えてくれました。
備えは大事ですよね。この日になるといつも思うんですが・・・なかなか実現してません。お互い、何とかしたいですね。
投稿情報: ゆき | 2006/01/18 00:51
私も備えしてません(汗)。そう、県西。あのへんを震災当日の夜にウロウロしていたなと思い出します。
関東圏に暮らしていると17日って、とても意識が希薄になるなぁと毎年思います。それが淋しいです。
投稿情報: むぎ | 2006/01/18 08:01
県西の様子は、TVで報道されてるのを見ました。それじたい異様なのですが、インタビューに答えてたのが生物の某先生で、びっくりしたと同時に無事やったんやな~と思いました。
関東圏ではやっぱり遠くの出来事になってしまいますね。こっちの友達が、実感として感じられないのは仕方ないと思います。
でも、私自身は自分の体験のように感じていることと知っていて、無神経なことを言わないよう気遣ってくれる人には、とても感謝します。
投稿情報: なつみかん | 2006/01/18 11:49
はじめまして。
MIXIから来ましたせんべいと申します。
私も2年前まで西宮在住でしたので、体験はしていないまでも地震のことは他人事とは思えぬ身の上です。
また寄らせていただきます。
投稿情報: せんべい | 2006/01/19 12:57