コロナ流行が始まってから二回めの1月17日。
震災絡みのテレビ番組、少なくなったなぁ。テレビでやりゃあええってもんでもないが。
最近、震災を知らない世代、若い子たちが語り継ぐ活動をしている報道を見ると、複雑な気持ちになる。
私は直接そのときに被災地にいたわけではないけれど、家族は被災したし、近所の家はたくさんつぶれていたし、亡くなった同級生もいた。
震災を知っているけど特に何もしてない、自分みたいな人はたくさんいるはずのに、その頃生まれてもいなかった若い子に重荷を背負わせてしまっているように思えて…。
この映画が、最初にTVドラマとして放映されてから、もう12年だって…。
震災など未経験という方も、ぜひ。既視感というか、まるで現実のように感じられる不思議なリアルなドラマです。
今朝の7時5分頃の…
西北の空。
暗くて重い、まさに冬らしい鉛色の空。
お昼頃には、目のさめるような快晴となりました。ただ、とにかくずっと気温の低い、寒い一日でした。東京のほうは雪がかなり降っていたみたい。
母が亡くなってまる12年、すなわち干支が一周しました。そう、当時も私は年女だった。
加齢による体調不良、それに対する不安感、その気持ちがわかるようになりました。もっと寄り添ってあげればよかったね、などと言っても後の祭り。だいたいあの頃の自分には無理だし、そして今だって実際に相対したらできる自信なし。
とにかく自分が元気に生きていこう。そして今の自分の周りの人たちが元気に生きていけるように考えて行動しよう。
最近、このブログも仕事報告ばかりになってしまい、またそれも、忙しいのを理由にこの1ヶ月半ほど滞ってしまっています。
ひさしぶりに、ただの雑文をちょっと書いてみます。今年のお飾りは、友人の水引デザイン「紙単衣」のものにしました。かわいいです。
今年は…なんだかずっと忙しかったなぁ。
こんなご時勢でも、ありがたいことにイラストの仕事が途切れることなく、しかも大きな絵を描く機会が増えました。表紙用の風景の絵や、街全体や室内全体を描く大きな俯瞰図を、とにかくたくさん描きました。11月以降は、こなすことでせいいっぱいで、息切れ気味になるくらい。
息切れ気味といえば、いよいよ更年期なのか、精神的に若干不安定な日も増えました。3週間くらい前から、左耳がいわゆる突発性難聴の症状(ふさがったような、ボワーっとしたような感じ)にみまわれ、すぐ耳鼻科にかかって薬を服用しているものの、一進一退です。「貼るお灸」を耳下に貼っていると症状が悪化しない事に気づいてからはすこし楽になっています。
そう、来年は寅年、私は4回目の年女。肩こりもひどくなってきたし、老眼も進んできた。健康チェック、人間ドッグにも行かねばなぁ。そうだ、コロナのワクチン打ったりしていたのも今年か。
6月には初めての百貨店での展示(高槻阪急)もやりました。大阪・東京でのグループ展にもいくつか出展しました。1回だけでも東京行けました。
久しぶりに、父の工房やスタッフさんの協力を得て、自分でも七宝焼ブローチを作ってグループ展に出展しました。
その、七宝焼の工房アンクルゼットのWebショップ運営もずっと続けています。広告を出すようになってから以前より注文が増え、Instagramでの動画配信もどうにか続けています。(そして最近これも息切れぎみ…)
とまぁ、若干愚痴っぽいのも含めて、2021年は「加齢」を如実に感じるようになった年でした。
来年は、その加齢に抗うというよりは、だましだまし付き合あっていければなぁと…。せっかちになって視野が狭まり、焦りがち・守りに入りがちな傾向があるので、「オープンに」を心がけていきたい。何でも自分だけでやろうとせず、いい意味で「人まかせ、相手まかせ」することで新しい経験ができればいいかなと思っております。
みなさま今年もありがとうございました。良いお年をお迎えください。そして来年もよろしくお願いいたします
あ、そうだもっと単純に、コロナが落ち着いて、色んな人と飲みに行ったりご飯行ったり、したい!旅行行きたい!
夫の実家への夏の帰省、延ばしに延ばして、もう秋。
年末年始まで待ったら、またどうなってるかわからないということで、
この金・土に1泊だけ行ってきました。
二日目、妹さんご家族に、ウポポイに連れて行ってもらいました。
ウポポイ(民族共生象徴空間) https://ainu-upopoy.jp/
北海道白老郡白老町にある「民族共生象徴空間」の愛称。主要施設として国立アイヌ民族博物館、国立民族共生公園、慰霊施設を整備。アイヌ文化の復興・創造・発展のための拠点となるナショナルセンター
昨年オープンしたばかり。
風が冷たっ!。いいお天気で気持ちよかった。
この夏、ゴールデンカムイにドハマリした私にはナイスタイミング(?)で、「おお、これがアシリパさんが踊ってた鶴の踊りか!」「ああ、あれは谷垣が閉じ込められた熊の檻だ!」とかいう具合でした(笑)
そのあと、空港に行く途中で「サケのふるさと 千歳水族館」にも立ち寄りました。
サケのふるさと 千歳水族館 | 日本最大級の淡水魚水族館 https://chitose-aq.jp/
10年前にも行ったはずなのに、どうにも覚えのない立派な水槽がいろいろある…と不思議だったのだけど、調べたらやっぱり2015年にリニューアルしていた。
千歳川の底が直接覗ける施設は当時と変わらずあり、今回はけっこうしっかり鮭の姿を見ることが出来ました。
あぁ、観光したの、久しぶり。
とても楽しかったけど、観光する体力が落ちてるのか、今日はずっとグダグダでした。
せっかくの札幌、久しぶりの人に会ったりもしたかったけど、そういうのはまだ先かなぁ。
10年経ちましたが、いつもどおりに、今年もチューリップで。
今日はずっと家だったので、一番近くの花屋さん(問屋さんなのかな、店構えが地味で種類も少ないのですが、リーズナブルなのです)で購入。
これから咲こうというところ。
チューリップを買う理由は、このブログの記事をご参照のほど。
>3月11日は (2014/3/11)
コロナとはいえ、お天気がのどかな日に近所の河原を散歩していると、ただの冬の日。
今年はメモリアルウォークは中止だそう。一昨年、思い切って行っておいてよかったな。
歳を取ってからのほうが、震災で何が大変だったのか、どんな影響があるのか、わかってきて、つらい気持ちになる。
この映画が、最初にTVドラマとして放映されてから、もう11年。
震災など未経験という方も、ぜひ。既視感というか、まるで現実のように感じられる不思議なリアルなドラマです。
西北の空。
ベランダから望む東南方向の空は撮り忘れた…。これが11年の月日か。
冷えた朝、とはいえ超絶寒くはない、冬らしい朝でした。この後いい天気となりました。
水曜日、父のところへ行く日だったので、チューリップの花を買っていきました。
来年は4回目の年女、ちょうど一回りかぁ。
12/31~1/3の4日間、ただ、のんびりしました。
仕事部屋には協力滞在しないようにし、リビングやこたつで過ごし、外出もちょっと散歩にいくだけ。台所仕事も最低限、洗濯の回数も減らし、掃除もなし。毎年楽しみにしている正月アホTV番組を見て、雑誌をダラダラ読んで、夜はたっぷり寝て。年末年始外出なしと決めて返って楽だったかもしれない。そんなお正月でした。
うちの近所はパン屋とケーキ屋さんがよりどりみどり。ケーキ屋さんは今日から開いている店が多く、上等なシュークリームをおいしくいただきました。クリームたっぷりだけど胃にもたれない!(中年の感想)
おみくじ大吉だったのを鵜呑みにしてこの1年も調子乗っていきたいです。
何年も前から習いたいと思いながら全く進展していない2つのこと、「朗読」と「ハーモニカ」に、なんかちょっとでも手を付けたいねぇ…。
昨年は歩きに行ってみたが、今年は普通に過ごしました。たまたま父の工房に行く日だったので、夙川をパチリ。
成人式を迎えてから(行ってないけど)、25年ということになる。
TV等を見て、いろいろ思いはめぐるけれど、まとまらない。
前も書いたけど、当時よりも、今のほうが映像を見たときに心がえぐられる。
平和な心持ちで、過ごせる日が増えますように、なるべくみんながそうなりますように。
この映画が、最初にTVドラマとして放映されてからは、ちょうど10年。
森山未來はこの頃からすごかった。サトエリもとてもいい。未見の方はぜひ。
今朝の7時5分頃の…
東南の空と、
西北の空。
今朝は快晴。
10年ともなると、改めて背筋が伸びるような感慨に襲われるかと思いきや、朝起きてしばらくは忘れていたという体たらく。
カーテンを開けて空が目に入った瞬間、ハッと思い出した。昨年以前のブログを見て、時刻を確認する。
とにかくいろいろと薄れていく、10年。
夫の母も昨年亡くなった。母と呼ぶ人はいなくなったんだなぁ。
空に向かって手を合わせる。思い浮かぶ人が増えていく。月日は流れている。
これまでの履歴
------
最後に、毎年同じ内容を添付。
母が生前つづっていたブログから抜粋して、小さなフォトブックを作ったのが、三回忌法要のころ。
元となったブログはこちら> 保科晶の雑記帳 http://hosina.exblog.jp/
阪神・淡路大震災から24年。
今年は初めて現地で過ごすことになりました。
「1.17 ひょうごメモリアルウォーク」
阪神・淡路大震災から復興した街並みや震災モニュメントを巡り、防災意識を高めるとともに、大阪北部地震や平成30年7月豪雨により明らかになった都市交通機能の災害脆弱性に備えるため、緊急時の避難路、救援路として整備された山手幹線等を歩く
こんなイベントが毎年行われていると知り、せっかく自由なフリーランスの身、迷ったけれど思い切って一人でひっそり参加してきました。
西宮市役所前に集合して8時に出発。「ひょうご安全のつどい」会場であるHAT神戸まで片道15km。
山手幹線沿いに、西宮市、芦屋市、神戸市を歩きました。
ふだんは大して歩かないし、大勢と付かず離れず歩く、というのもあまりない経験だったので、予想以上に疲れました。
多分私は参加者の中では平均年齢若めだったはずですが、周りのみなさん健脚の方が多く…どんどん先を越されていく。
別に競争ではないのですが、私は終始だいぶ後半の組、なんとかギリギリ12時前にゴールしました。
正直、道中では震災に思いを馳せるというより、一人で歩きながら、どこに何があって、どんな距離感か…を確かめる、普通の散歩のようになっていました。
ただ、ふんわりとした満足感を味わっています。
当時から今に至るまで、この日に関して自分が何かしたことはほぼなく、自分のなかでなにかひとつ現地での経験を作りたかったのかもしれません。
ホンマにただの自己満足でお恥ずかしい限りですが、奥せず参加しておいてよかったです。(しかし明日ぐったりしそうや…(笑))
六甲おろしの風は冷たかったですが、よく晴れた気持ちの良い日でした。
今朝の7時分頃の…
冬らしい曇り空。こちらに戻ってきて気がついたことの一つが、冬の空が変わりやすいこと。
山が近いからか、1日のなかで晴れたり曇ったりがいそがしい。
真冬は朝から晩までピーカンのことが多い関東平野はほんとに広い平野だったんだな。
朝起きてこの写真を撮って、日曜なので二度寝したのだが、その時見た夢にちらっとでてきた母は、なんだかちょっと違っていた。他の誰かがまざったような、ちょっと印象が違った女性になっていた。
まぁコレは夢だが、とはいえ自分が年を経たせいもあって憶があいまいになってきたの感じる。
つくづく自分の記憶とか思い出なんてアテにならないもんだ。支えにはなるものだけど。
先日の台風21号の関西上陸の影響で、めだった被害はとくになかったものの、うちのマンションも停電、そしてそれに伴い断水した。9月4日の午後2時過ぎからはじまって、復旧したのは日が変わって5日夜中の3時半ごろ。
いやーまいった。つかれた。振り返ればたった半日だったのが、ずいぶんと疲弊したわ…。
以下、経緯。
最近のコメント